五山の制度は、各禅刹の寺格を決め,官が任命した住持を順次上位の寺へと昇任させていくという中国の制度です。北条氏がこれを取り入れ、初めは建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺など、鎌倉の主な禅刹が五山と呼ばれていました。その後京都の寺社もこれに含められ、何度か変更されましたが,至徳3(1368)年に足利義満が改定し、現在の鎌倉五山・京五山(両五山の上に京都の南禅寺を置く。京五山は第一位・天竜寺、第二位・相国寺、第三位・建仁寺、第四位・東福寺、第五位・万寿寺)が定められました。

建長寺(第一位)  円覚寺(第二位)  寿福寺(第三位)  浄智寺(第四位)  浄妙寺(第五位)

鎌倉の湧水の中で、特に美味しいとされた五つの名水。鎌倉が観光地化した江戸時代に作られたようです。文献により多少の差異があります。

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鎌倉は三方を山に囲まれ、防御上非常に有利な地形をしていました。しかし反対に、人や物資の行き来には不便であったため、山の稜線を切り開いて道を作りました。これを切通(きりとおし)と呼びます。切通は鎌倉への出入り口として交通上だけでなく戦略上重要な意味があったため、周辺には有力者の邸宅などが置かれていました。切通のうち重要な七つを七切通、または七口と呼びました。

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七福神の「七」は、仁王般若経の「七難即滅、七福即生」の出典によるものといわれています。中世室町時代に、町衆の生活の中で現世の利益にあやかりたいという民間信仰が高まってきた頃、「七」の聖数の合わせて、インド・中国・日本の仏教・道教・神道に起源を持つ神仏七体をグループとして七福神が成立しました。これらの福神を巡拝するとご利益がもたらされるとして、江戸時代中期に正月の行事として七福神めぐりが一般化され、各地に広まったようです。

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水の悪かった鎌倉の井戸の中で,最も美味しく、また伝説が伝わる十の井戸をいいます。鎌倉が観光地化した江戸時代に定められたようです。現在水の飲める井戸はありません。

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鎌倉の川に架かる橋のうち、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる十の橋をいいます。現在橋としては残っておらず、碑だけ残っているところもあります。

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説明資料 (PDFファイル)
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観音は33に化身して人々を救うという観音信仰によって、観音菩薩を安置する33の霊場巡りが作られたとされます。12世紀に西国三十三所が、13世紀には坂東三十三所が成立し、その後全国的にも広まっていきました。

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